
格闘とは、ある意味究極のコミュニケーションである。
あらゆる武道が、ある高みに達すると、攻撃の威力やスピードを高めることよりも、的確 なタイミングで必要なだけの動きをすることを考えるようになります。 そのために重要なことは、何はなくとも、「相手の動きを読む」ことに尽きます。 相手の技・思考・感情を感じ取り、それに呼応する。 それにつきます。
考えてみれば、「戦いの場」以上に、向き合った相手の心の中を必死になって察しようと する状況は、他にありません。 そして、考えてみれば、「相手の気持ちをくみ取る」という行為は、コミュニケーション の基本にして究極であるといえます。
であれば、格闘において高みに達したものは、必然的に、ひとに対して真の意味で「気を 遣える」、いわば思いやりのある人間になるのではないでしょうか。 多くの武道が「礼」を重んじるのは、道徳的な意味はもちろんとして、むしろ、武道にお いて高みに達するために必要な「技術」としての意味もあったのかもしれません。 いずれにせよ武道・格闘技は、その高みに達するものにおいては、決して野蛮でも乱暴な ものでもありえないはずです。
まあそんなことを「ストリートファイター・エターナルチャレンジ」を見ながら考えた わけです。 格闘ゲームはひとの蛮性を引き出すという一面もあるかも知れない。 でも「対戦格闘」をただしく修められるひとは、武道と同様に、決して野蛮な人間ではあ りえないのではないでしょうか。
もちろんこれは多分に希望的な、理想論だとは思いますが...。
スポンサーサイト
|