
「弘法、筆を選ばず」と言うことわざがある。 前々から思っていたのだが、うさんくさい言葉である。 広辞苑によると 「本当の名人は道具の善し悪しにかかわらず、善い仕事をする」 という意味だとある。
間違っている。と、断ぜざるを得ない。
ここでいう「弘法」とは、言うまでもなく高野山を開いた弘法大師空海のことである。 空海はこの時代、橘逸勢・嵯峨天皇と並び「三筆」と称される、書の達人であった。 のみならず、31歳の若さで唐へわたり、わずか二年足らずで密教の奥義を修得し帰国し た、日本史上まれに見る天才である。 一億人に一人の天才、と言い換えても良い。 それほどの天才・達人であるならば、どんな悪い筆でも素晴らしい書を著せるにちがいな い... と、後世の人間が勝手に想像して、「筆を選ばず」ということわざをでっち上げた、 と言うのが真相であるようだ。 現に、弘法大師は筆を選ばなかったという類の説話や記録は存在しないし、 この言葉自体、世に現れたのは明治時代以降のことであるらしい。 (それ以前にも同種のことわざはあったようだが)
誰が思いついたか知らないが、その者は、およそ「名人・達人」と呼ばれる人の現実を 知らない人間だと言わざるを得ない。 洋の東西を問わず、名人と呼ばれるものほど、自分の使う道具にはこだわり抜くものであ る。 バーンスタインは自分の納得いく調律を施されたピアノでしか演奏をしなかったという し、 イチローは自分の使うバットの握りの太さや重心位置をミリ単位以下の精度で把握する。 言い方を変えれば、道具の善し悪しを感じ取る能力こそ、達人の初歩であり必要条件であ るのだ。
個人的に結論を出そう。 その教訓が間違っているとは言っても、いったん浸透してしまったことわざを消去するこ とは不可能。
なので、その解釈を変えてしまうこととしよう。 「弘法筆を選ばず」とは。 「筆を選ばす」とも良いのは一億人に一人の天才の場合のみ。 それ以外の「天才でない」普通の人間は、自分の使う筆には出来るだけ良い物を選ぶべき である。 という意味だと、解釈することにする。
以上前置きが長くなりましたが。 要するに今日言いたいのは、 インテュオス3を買った。 ということなのであった。 使用感については、また後日。
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